2023年7月28日
1866年7月29日、バルブ・ニコル・ポンサルダンがブルソー(シャンパーニュ地方)で死去。享年89歳。
バルブ・ニコルは1798年にフランソワ・クリコと結婚しました。彼女の夫は銀行家であり羊毛商人でもありましたが、シャンパーニュ・ワインの生産も行っており、この事業を拡大しようとしていました。悲しいことに結婚生活は1805年までしか続かず、フランソワはおそらく腸チフスで亡くなりました。
バルブ・ニコル(現在のクリコ未亡人、「ヴーヴ・クリコ」)はわずか27歳でありながらこの挑戦に立ち向かいました。当時、女性の法的権利は男性よりもはるかに低く父親か夫のどちらかに管理されていましたが、未亡人にはそのようなことはなく、より自由を享受し、自分のビジネスを経営することができ、ヴーヴ・クリコはまさにこれを実践しました。当初、まず義父のもとで訓練を受け、シャンパーニュ・メゾンを引き継いだ最初の女性となり、やがて自らのメゾン「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」を立ち上げました。
ヨーロッパ、特にフランスはその当時容易な時代ではありませんでした。革命が起こり、次にナポレオン戦争が起こり、少なくとも1815年まではフランスは他の大陸のほとんどすべてから敬遠されていました。それでもマダム・クリコはナポレオン紛争終結の数週間前にシャンパンをロシアに送り、ナポレオンがエルバ島に追放された後、和平が宣言されるとすぐにシャンパンを販売するなど、大胆な決断を下し、常に会社を前進させていました。彼女はまた、今日使われているリドリング法(壜内二次発酵によって生じた澱を壜口に集める作業のこと)の発明者としても知られています。
著者紹介
Ettore Donadeo(エットレ・ドナデオ)
-
WSET認定 Level4 Diploma
-
Wine Scholar Guild Bourgogne Master-Level
-
DWG認定ドイツワイン上級ケナー
-
JSA認定 ワインエキスパート
アンコナ、マルケ州、イタリア生まれイタリア育ち。使用言語はイタリア語・英語・フランス語・関西弁。イタリアの大学で日本語学科を専攻。大学時代に1年間日本に交換留学した際に日本文化に魅せられ、卒業後2008年に再来日。日本とイタリアをつなぐ仕事がしたいと思い、ワイン業界へ転身。WSET Level2からワインの勉強を始め2017年にDiplomaを取得。2017年までワイン専門の酒屋で経験を積み、その後キャプランワインアカデミーに入社。